高浜虚子の俳句をバイリンガルで楽しもう!

インデックス


Vol.4 虚子百句 (61)~(80)

(61) くはれもす八雲旧居の秋の蚊に

(kuwaremosu yakumokyuukyono akinokani)

(58歳、S7. 1932年)

willingly bitten
by an autumn mosquito
of Yakumo’s old house

(注)「くはれもす」という表現は「日本文化を理解し日本に帰化した小泉八雲の旧居の蚊なら刺されるのを甘受しよう」という気持を表していると解釈して「willingly」を補足しています。この俳句の省略された主語は「I」であることは日本語が分からない外国人にも理解されるでしょう。

(62) 凍蝶の己が魂追うて飛ぶ

(itechohno onogatamashii outetobu)

(59歳、S8. 1933年)

a frozen butterfly
fly, chasing
its own spirit

(注) この俳句は現実の写生句ではなく、空想句でしょうから動詞は原形「fly」を用いて翻訳しています。
ちなみに、虚子は「初蝶来何色と問ふ黄と答ふ」という俳句を昭和21年に作っています。虚子は小説「椿子物語」において、「一時は九州に緒方句狂君があり、それに対して山陰に安積素顔君が擡頭したのであつた。」と記述していますが、いずれも盲目の俳人です。この二人のいずれかとの対話を契機に「初蝶」の俳句を作ったものと思います。詳細は「俳句談義(8)」をご参照下さい。

(63) 鴨の嘴よりたらたらと春の泥

(kamonokuchibashiyori taratarato harunodoro)

(59歳、S8. 1933年)

spring mud,
dribbling from
the bill of a wild duck

(64) 神にませばまこと美はし那智の滝

(kaminimaseba makotouruwashi nachinotaki)

(59歳、S8. 1933年)

incarnation of god_
what a sublimity!
Nachi waterfall 

(注) この俳句の面白さは「神にませば」の掛詞(かけことば)にありますが、それを英語俳句に訳出することは不可能です。その面白さについては「高浜虚子の俳句 <『去年今年』と『神にませば』>の面白い解釈」をご参照下さい。

(65) 燈台は低く霧笛は峙てり

(tohdaiwahikuku mutekiwa sobadateri)

(59歳、S8. 1933年)

the lighthouse is low,
prominent is the sound of
the foghorn.

(66) 襟巻の狐の顔は別に在り

(erimakino kitsunenokaowa betsuniari)

(59歳、S8. 1933年)

the face of the fox stole
lies
at another position

(注) この俳句は襟巻をしている人物が狐顔であることを詠んだものでしょう。

(67) 朝顔の映り熱帯魚は沈む

(asagaono utsuri nettaigyowashizumu)

(59歳、S8. 1933年)

a morning glory
reflected,
a tropical fish submerging

(68) 蓮池に髪洗ひをる女かな

(hasuikeni kamiaraioru onnakana)

(59歳、S8. 1933年)

a woman,
washing her hair
at the lotus pond

(69) 川を見るバナナの皮は手より落ち

(kawaomiru banananokawawa teyoriochi)

(60歳、S9. 1934年)

(Trnslation A)
a banana peel
fell from a hand,
I watch the river

(Translation B)
a banana peel
fell from my hand,
I watch the river

(注) 主語が省略されており、バナナの皮を落としたのは誰か不明です。

(70) 椿まづ揺れて見せたる春の風

(tsubakimazu yuretemisetaru harunokaze)

(61歳、S10. 1935年)

a spring breeze_
shown by the first shake
of a camellia

(71) 一を知つて二を知らぬなり卒業す

(ichioshitte nioshiranunari sotsugyohsu)

(61歳、S10. 1935年)

(Translation A)
graduated,
knowing one
but not two

(Translation B)
students are graduated,
knowing one
but not two

(Translation C)
knowing one
but not two_
he graduates from a school

(注) 省略された主語が不明なので3通りの翻訳をしました。
(A)は文字通りの逐語的翻訳、
(B)は学生一般の卒業を詠んだものとして翻訳、
(C)は特定の男性の卒業を詠んだものとして翻訳。

(72) 魚鼈居る水を踏まえて水馬

(gyobetsuiru mizuofumaete mizusumashi)

(61歳、S10. 1935年)

a whirligig beetle treads
on the water where
fish and turtles live

(73) 道のべに阿波の遍路の墓あはれ

(michinobeni awanohenrono hakaaware)

(61歳、S10. 1935年)

pathetic!
on the wayside,
a tomb of ’awa’ pilgrim

(74) 古綿子著のみ著のまま鹿島立

(furuwatako kinomikinomama kashimadachi)

(62歳、S11. 1936年)

my departure for abroad_
in the everyday wear of
old ’watako’ clothes

(注)「鹿島立ち」とは「旅行に出発する」ことです。この俳句は高浜虚子が渡仏の旅の「箱根丸」船中で詠んだものです。

(75) 雀等も人を恐れぬ国の春

(suzumeramo hito-o osorenu kuninoharu)

(62歳、S11. 1936年)

the spring
of the country where
sparrows also fear no people

(注)「雀等も」とは、「鳩のみならず雀等も」という意味に解釈すべきでしょう。しかし、穿ち過ぎでしょうが、「人を恐れぬナチスの比喩である」と解釈することも可能です。ウイキペディアによると、1936年にはベルリン・オリンピックが開催されましたが、「日本がロンドン海軍軍縮会議から脱退」・「二・二六事件勃発」・「ドイツがラインラントに進駐」など、第二次世界大戦(1939年勃発)に至る不穏な動きが発生しています。

(76) フランスの女美し木の芽また

(furannsuno onnautsukushi kinomemata)

(62歳、S11. 1936年)

France, beautiful!
sprouts of trees,
as well as wemen

(77) 鴨の中の一つの鴨を見てゐたり

(kamononakano hitotsunokamo-o miteitari)

(62歳、S11. 1936年)

I gazed at
only one of
the wild ducks

(注) この俳句は実際の写生句でしょう。しかし、「鴨の中の一つの鴨」とわざわざ俳句にするのは何か含みがあるように思えます。穿ち過ぎかも知れませんが、(75) の俳句をナチスの比喩であると解釈すると、「ナチス党のヒットラー」を注目しているという解釈が出来ます。

(78) たとふれば独楽のはぢける如くなり

(tatoureba komanohajikeru gotokunari)

(63歳、S12. 1937年)

(Translation A)
as it were,
repelling of
two spinning tops

(Translation B)
you and me,
as it were,
repelling spinning tops

(Translation C)
our relations
so to speak,
repelling of spinning tops

(注) この俳句は碧梧桐追悼句です。句意の詳細については「高浜虚子の100句を読む」をご参照下さい。

(79) 稲妻を踏みて跣足の女かな

(inazumao fumitehadashino onnakana)

(63歳、S12. 1937年)

treadding on
lightning_
a barefoot woman

(80) 何某に扮して月に歩きをり

(nanigashini funshitetsukini arukiori)

(64歳、S13. 1938年)

under the moon,
walking in a disguising costume
as a certain person.

(注) この俳句には「観月句会。大船、松竹撮影所。」などの添書があります。主語が不明なので添書がなければ理解できない俳句です。