高浜虚子の俳句をバイリンガルで楽しもう!
インデックス
Vol.2 虚子百句 (21)~(40)
(21) 一つ根に離れ浮く葉や春の水
(hitotsuneni hanareukuhaya harunomizu)
(39歳、T2. 1913年)
a spring water_the leaves floating aloof,
grown from a single root
(注)この俳句は単なる写生ではなく、人間を含めた自然界の摂理を表していると思います。
その解釈の詳細については、「俳句の創作的解釈」<高浜虚子の俳句「一つ根に離れ浮く葉や春の水」>をご参照下さい。
(22)この後の古墳の月日椿かな
(kononochino kofunnotsukihi tsubakikana)
(39歳、T2. 1913年)
after thislasting time of the ancient mound_
camellias
(注)高浜虚子は椿が好きだったようです。「虚子忌」(4月8日)は「椿寿忌」とも言われます。
「椿子物語」という虚子の小説(1951年出版)がありますが、青空文庫でご覧になれます。
(23) 草摘みし今日の野いたみ夜雨来る
(kusatsumishi kyounonoitami yosamekuru)
(39歳、T2. 1913年)
a night rainmourning the today’s fields
where herbs were picked up
(24)囀や山かけて売る土地広し
(saezuriya yamakaketeuru tochihiroshi)
(39歳、T2. 1913年)
この俳句は掛詞(かけことば)として解釈すると様々な英訳が可能です。
(Translation A)
broad the lot,sold with a hind-hill for prize _
chirps of birds
(Translation B)
broad the lot,sold by running around the hill_
chirps of birds
(注)
「山かけて」は「山掛けて」・「山駆けて」などの意味に解釈できます。(25) 舟岸につけば柳に星一つ
(funekishini tsukebayangini hoshihitotsu)
(39歳、T2. 1913年)
the boat reached a shore_a willow there,
a star above it
(26) 歌人祭らず俚人ただ祭る社あり
(kajinmatsurazu rijintada matsuru yashiroari)
(39歳、T2. 1913年)
the shrine,no poets worship it,
villiagers simply worship it
(27) 霜降れば霜を楯とす法の城
(shimofureba shimo-o-tatetosu norinoshiro)
(39歳、T2. 1913年)
if there is a frost,the frost be a shield_
the temple of laws
(28) 石の上の埃に降るや秋の雨
(ishinoueno hokorinifuruya akinoame)
(39歳、T2. 1913年)
onto the dust covering the stone,falls
the autumn rain
(29) 年を以て巨人としたり歩み去る
(toshi-o-motte kyojintoshitari ayumisaru)
(39歳、T2. 1913年)
having madea giant of year,
the time walks away
(注)俳句では主語「我」・「吾」は一般に省略されますが、虚子が39歳で「歩み去る」とは考えられませんので省略されている主語は「時」であると解釈して英訳します。
次の (30) の俳句と合わせ読むと納得できるでしょう。
( 「高浜虚子の俳句と『護憲運動』のことなど」もご参照下さい。)
(30) 時ものを解決するや春を待つ
(tokimono-o kaiketsusuruya haruomatsu)
(40歳、T3. 1914年)
time will solvesome problems_
I will await the spring
(31) 春惜む輪廻の月日窓に在り
(haruoshimu rinnenotsukihi madoniari)
(40歳、T3. 1914年)
the sun and the moon,transmigrating in the window_
I cherish the departing spring
(注)この俳句を詠んだとき、高浜虚子は1914年に亡くなった四女の「六」の死に思いを馳せて、「六」の死も輪廻の一つとして受け入れようとしたのではないでしょうか?
(32) 天の川の下に天智天皇と臣虚子と
(amanogawanoshitani tenjitennohto shinkyoshito)
(43歳、T6. 1917年)
under the Milky Way,Emperor Tenji
and his subject Kyoshi
(33) 鞦韆に抱きのせて沓に接吻す
(shuusenni dakinosete kutsuniseppunsu)
(44歳、T7. 1918年)
(Translation A)
puttingonto a swing,
and kissing her socks
(Translation B)
onto a swing,I put my baby
and kiss her socks
(注)「鞦韆」とは「ぶらんこ」のことで「春の季語」です。
「抱きのせ」とは誰のことか、虚子が自分の長女を抱き上げたことを詠んだものでしょうが、主語も対象も省略されているので真の句意は不明です。虚子が女性を抱き上げたとするとロマンチックになりますが、事実とは思えません。
(A)は、誰かが童女を抱き上げてブランコに乗せたものとして、「曖昧さ」(俳句の特徴)をそのままにして翻訳しましたが英語として不適切です。乗せた拍子に幼子の足が口に触れたのか、可愛さのあまり足にキスしたのかわかりませんが、「沓」は「ソックス」を意味すると解釈して意訳しました。
(B)は、曖昧さを避けて適切な英語になるように意訳しました。
(34) どかと解く夏帯に句を書けとこそ
(dokatotoku natsuobini kuokaketokoso)
(46歳、T9. 1920年)
she untied her summer obi,dumped it, demanding me
to write a haiku on it
(注)主語や対象が省略されているが、女性が虚子に要求したものと推定して翻訳しました。
(35) 祇王寺の留守の扉や推せば開く
(giohjino rusunotobiraya osebahiraku)
(51歳、T14 1925年)
The door of Gioji templeopens when pushed
at the nun’s absence
(注)「nun’s absence」は意訳です。
(36) 紅さして寝冷の顔をつくろひぬ
(benisashite nebienokao-o tsukuroinu)
(51歳、T14. 1925年)
putting rouge on,she adjusted
her face chilled in the sleep
(注)女性の所作を虚子が詠んだものとして意訳しました。
(37) 白牡丹といふといへども紅ほのか
(shirobotan toiutoiedomo benihonoka)
(51歳、T14. 1925年)
white rose,so called, but
slightely tinged with red
(38) 或墓のくすぶり見えぬ彼岸かな
(aruhakano kusuburimienu higankana)
(52歳、T15. 1926年)
a certain tombseen in smoldering,
vernal equinox day
(39) やり羽子や油のやうな京言葉
(yarihagoya aburanoyohna kyohkotoba)
(53歳、S2. 1927年)
“yarihago” shuttlecock_the oily sound of
Kyoto accents
(40) この路を我等が行くや探梅行
(konomichio wareragayukuya tanbaiko)
(53歳、S2. 1927年)
this roadwe’ll take, to find
plum blossoms