高浜虚子の俳句をバイリンガルで楽しもう!

インデックス


Vol.5 虚子百句 (81)~(100)

(81) 龍の玉深く蔵すといふことを

(ryuhnotama fukakuzohsuto yuukoto-o)

(65歳、S14. 1939年)

(Translation A)
fruitlets of dwarf mongo grass_
containing
deep inside

(Translation B)
dwarf mongo grasses
hold the fruitlets
deep inside

(注) この俳句の解釈には「高浜虚子の100句を読む」 http://www.izbooks.co.jp/kyoshi86.html が参考になります。「龍の玉」の後に助詞がないので、「龍の玉」を主語と目的語のいずれにも解釈できます。
(A)は「龍の玉」を主語と解釈した逐語的翻訳です。この翻訳俳句には「containing」の目的語が無く、「何を蔵するのか」を読者の解釈に委ねることになりますが、俳句の特徴を知らない外国人に理解されるか疑問です。
(B)は、「龍の玉」が目的語であり、主語(「龍の髭」)が省略されている、と常識的な解釈をして翻訳しているので外国人にも理解出来るでしょう。

(82) 吾も亦紅なりとついと出で

(waremomata kohnarito tsuitoide)

(66歳、S15. 1940年)

me too, crimson_
as if so saying,
a burnet abruptly appeared

(注) この俳句を高浜虚子が作った昭和15年当時は徴兵検査があり、「甲種合格」の判定をされるのは「男子の誉れ」とされた時代でした。
  この俳句は「甲」の同音異義語「紅」を用いて、「吾亦紅」(われもこう・バラ科の多年草)を「吾も亦紅」と面白く表現して比喩の句にしたものと思われます。 最近の世相の比喩に当てはめると、「牽強付会(けんきょうふかい)の見方である」と批判されそうですが、逞しく活躍している女性や「me too」とセクハラ問題などで名乗り出る女性の例が当てはまりそうです。

(83) 大寒の埃の如く人死ぬる

(daikanno hokorinogotoku hitoshinuru)

(67歳、S16. 1941年)

people die
like dust of
midwinter

(注) 1941年12月8日真珠湾攻撃により太平洋戦争が勃発しています。この俳句は「戦争の空しさ」を比喩的に表現したものと思いますが、虚無的な解釈もできます。「俳句談義(4):高浜虚子の句『大寒の埃の如く人死ぬる』とは、『平和』を考える」をご参照下さい。

(84) 山川にひとり髪洗ふ神ぞ知る

(yamagawani hitorikamiarau kamizoshiru)

(67歳、S16. 1941年)

god knows_
in a mountain stream
a woman alone washes her hair

(注) 「髪洗う」のは高浜虚子の小説「虹」のヒロイン「愛子」でしょうか?

(85) 映画出て火事のポスター見て立てり

(eigadete kajinoposutah mitetateri)

(67歳、S16. 1941)

walking out of a cinema,
I stopped,
seeing a poster of fire

(注) 「火事」は冬の季語です。見たのは映画か防災のポスターでしょう。

(86) 天地の間にほろと時雨かな

(ametsuchino aidanihoroto shigurekana)

(68歳、S17. 1942年)

a slight drop
between heaven and earth_
wintry rain

(注) この俳句は「鈴木花蓑の追悼句会」の句なので比喩でしょう。

(87) 爛々と昼の星見え菌生え

(ranranto hirunohoshimie kinokohae)

(73歳、S22. 1947年)

the daylight star
looks glaring_
mushrooms grow

(注) この俳句は高浜虚子が疎開先の小諸市を引き上げる際に別れの俳句会で詠んだものですが、その解釈は様々です。太陽を「昼の星」と表現し、「きのこ(松茸)」を「菌」で表現することにより自然界の最大のものと最小のものを対比して大宇宙の営みを巧みに詠んだ秀句です。穿った見方をすると、この俳句には「俳句の世界」を比喩していると解釈できる面白さもあります。「俳句談義(6)」「俳句談義(7)」をご参照下さい。

(88) 蔓もどき情はもつれ易きかな

(tsurumodoki nasakewamotsure yasukikana)

(73歳、S22. 1947年)

compassion
easily tangles_
staff-tree

(注) 「蔓もどき」は秋の季語です。この俳句は森田愛子 (1917~1947) 杉田久女 (1890~1946) のことなどを意識して詠んだものでしょうか?

(89) 春潮にたとひ櫓櫂は重くとも

(shunchohni tatoirokaiwa omokutomo)

(73歳、S20. 1945年)

even if the oar is heavy
against
the spring tide_

(注) この俳句は孫の坊城中子(現在花鳥名誉主宰)の看護学校受験の際に高浜虚子が激励の餞(はなむけ)に詠んだものです。

(90) 虚子一人銀河と共に西へ行く

(kyoshihitori gingatotomoni nishieyuku)

(75歳、S24. 1949年)

Kyoshi alone
goes toward west
with the galaxy

(注) 災害や事故、戦争やテロでないかぎり、死は一般に一人にやって来ます。この俳句は、「花鳥諷詠」をして「西方の極楽浄土」 へ「我が道を行く」という虚子の思いを「極楽の文芸」という俳句に託して諷詠したのでしょう。

(91) 去年今年貫く棒の如きもの

(kozokotoshi tsuranuku bohnogotokimono)

(76歳、S25. 1950年)

(Translation A)
Kozokotoshi,
piercing
a stick-like thing

(Translation B)
time pierces
kozokotoshi
like a stick

(Translation C)
my belief in haiku
pierces kozokotoshi
like a stick

(注) この俳句の従来の解釈においては、「去年今年」は「貫く棒のごときもの」の主語として解釈されています。 しかし、「(78) たとふれば独楽のはぢける如くなり」の俳句で主語が省略されているように、 この俳句でも主語は省略されており、 「去年今年」が副詞として用いられていると解釈すべきでしょう。
(A)は主語を省略したまま、「kozokotoshi」を副詞的に用いて翻訳しています。
(B)は主語として「time」を補足し、(C)は主語として「my belief」を補足しています。
「去年今年」は文字通り英訳すれば「last year-this year」 ですが、「新年の季語」としてそのままローマ字で表現する方が良いと思います。
なお、この俳句の新解釈の詳細については、「虚子の俳句『去年今年貫く棒の如きもの』の棒とは何か?」をご参照下さい。

(92) 悪なれば色悪よけれ老の春

(akunareba iroakuyokere oinoharu)

(79歳、S28. 1953年)

if any vice,
sensual vice would be better_
spring of old age

(93) 明易や花鳥諷詠南無阿弥陀

(akeyasuya kachohfuuei namuamida)

(80歳、S29. 1954年)

daybreak getting earlier_
composing haiku of nature
namuamida

(注) 高浜虚子は「俳句は極楽の文芸である」と言っていますが、その信念を俳句にしたのでしょう。「花鳥諷詠」は虚子が俳句の理念として唱導した言葉ですが、「composing haiku of nature」と意訳しています。「南無阿弥陀」は「阿弥陀仏を信ずる」という意味の呪文なのでそのままローマ字で表現しています。

(94) 我のみの菊日和とはゆめ思はじ

(warenomino kikubiyoritowa yumeomowaji)

(80歳、S29. 1954年)

chrysanthimum-bright-day_
never
only for me

(注) この俳句は高浜虚子が文化勲章を受賞した際に詠んだ句です。

(95) 大桜これにかしづき大椿

(Ohzakura korenikasizuki ohtsubaki)

(81歳、S30. 1955年)

a large cherry tree_
beside it
a large camellia

(96) 蠅叩手に持ち我に大志なし

(haitataki tenimochiwareni taishinashi)

(82歳、S31. 1956年)

with a flyswatter
in my hand,
I have no great ambitions

(97) 蜘蛛に生れ網をかけねばならぬかな

(kumoniare amiokakeneba naranukana)

(82歳、S31. 1956年)

a spider
born to spin a thread
must weave a web

(注) この俳句は「天命を甘受・全うする」という虚子の気持ちを比喩的に表現したものでしょう

(98) 独り句の推敲をして遅き日を

(hitori kunosuikoh-o-shite osokihio)

(85歳、S34. 1959年)

alone,
elaborating haikus_
lengthening days of spring

(注)この俳句は「句仏」 の十七回忌の追悼句です。(「高浜虚子の100句を読む」参照。)

(99) 白梅に住み古りたりといふのみぞ

(shiraumeni sumifuritarito iunomizo)

(85歳、S34. 1959年)

white ume blossoms_
simply I say
I lived to be venerably old

(注) 蕪村の辞世句「しら梅に明る夜ばかりとなりにけり」を意識して虚子はこの俳句を詠んだに違いありません。

(100) 春の山屍を埋めて空しかり

(harunoyama kabaneoumete munashikari)(A)

(harunoyama kabaneoumete kuushikari)(B)

(85歳、S34. 1959年)

この俳句の「空しかり」は下記の(注)に述べたように掛詞でしょう。
(A)は通説どおり「むなしかり」と翻訳し、(B)は「空然り(くうしかり)」と翻訳しています。


(Translation A)
the spring mountain
stands vain
with corpses buried

(Translation B)
the spring mountain
with corpses buried_
all are vanity

(注) 高浜虚子は、荒木田守武(1473-1549)の句「花よりも鼻に在りける匂ひ哉」を意識していたのか、「おやをもり俳諧をもりもりたけ忌」という俳句を作っています。この辞世句「春の山」も、芭蕉の俳句「やがて死ぬけしきは見えず蝉の声」の「けしき」が「景色」と「気色」の掛詞(かけことば)であること(「蝉の俳句を鑑賞しよう」や蕪村の俳句「薫風やともしたてかねついつくしま」も掛詞を用いた面白い俳句であることなどを認識して作ったのではないでしょうか?
(俳句鑑賞 <蕪村の俳句「薫風や」は面白い>をご参照下さい。)


高浜虚子は40歳のときに「春惜む輪廻の月日窓に在り」という句を作っていますが、小説「落葉降る下にて」に於いて次のように述べています。
「私は其の後度々墓参をした。凡てのものゝ亡び行く姿、中にも自分の亡び行く姿が鏡に映るやうに此の墓表に映つて見えた。『これから自分を中心として自分の世界が徐々として亡びて行く其の有様を見て行かう。』私はぢつと墓表の前に立つていつもそんな事を考へた。」
  この俳句の「春の山」は「寿福寺の墓」を指しているのでしょう。寿福寺の「山号」は「亀谷山(きこくさん)」です。(「俳句談義(1)虚子辞世句の解釈」をご参照下さい。)


高浜虚子は「人の世はままならぬ」と「虚しい思いをする一方で、この世は全て『色即是空』である」という諦観をもって最晩年まで俳句の道に「独り句の推敲をして遅き日を」のように没頭していたのではないでしょうか?
  高浜虚子はこのような思いを辞世句にして、「空しかり」は「むなしかり」と「くうしかり」と掛詞として、その読み方・解釈を読者の選択に委ねたものと思います。