英語でわかる芭蕉の俳句

インデックス


芭蕉300句 (11)~(20)

春かぜやきせるくはえて船頭殿

(harukaze-ya kiseru-kuwaete sendō-dono)

(11/300)

(A)
spring breeze_
with a pipe in his mouth
Mr. boatman


(B)
with a pipe in his mouth
Mr. boatman_
spring breeze


(C)
a pipe in his mouth,
mister boatman is smoking;
a breeze in springtime


(C)はホワイト氏の英訳です。 5-7-5の音節にするために動詞が使われ、句意はわかりやすいですが、簡潔さという俳句の特徴・良さは損なわれています。(A)と(B)はL.P. Loveeの英訳です。 音節に捉われず俳句の簡潔さを優先した翻訳です。
(A)は日本語の原句の語順通りに翻訳しています。
(B)は語順を変えて俳句の「切れ」を英語HAIKUに生かしたつもりです。俳句は好き好き、翻訳も好き好きです。
貴方はどの英訳が良いと思われますか?


青柳の泥にしだるる潮干かな

(aoyagi-no doro-ni-shidaruru shiohi-kana)

(12/300)

(A)
the green willow trees
are dripping into the mud
now the tide is out


(B)
the green willow tree
drooping to the mud_
the ebb tide


(A)はホワイト氏訳で、5-7-5音節になっていますが、原句の「しだるる」を誤訳しています。
(B)は L.P. Loveeの素直な英訳です。
「潮干」とは、広辞苑によると、「潮水が引くこと。潮が引いてあらわれた所」です。原句は「潮干」を強調して、「柳と水」の取り合わせを「柳と泥」の取り合わせにして俳諧味を出したものでしょう。


ほととぎす消え行く方や島一つ

(hototogisu kieyuku-kata-ya shima-hitotsu)

(13/300)

(A)
where a small cuckoo
disappeared in the distance
a single island


(B)
in the distance where
a little cuckoo disappearing,
a single island


「時鳥」は鳴き声を意識して俳句にするのが普通ですが、芭蕉は視覚に訴える句にして、新味を出したのでしょう。
(A)は「575訳」ですが、「消え行く」を「disappeared」(過去形)と誤訳しています。
(B)は「消え行く」を訳出するために、「disappearing」(進行形・be動詞省略)としました。

(注) 今後はホワイト氏の翻訳を「575訳」と略称します。


世ににほへ梅花一枝のみそさざい

(yoni-nioe baika-isshino misosazai)

(14/300)

(A)
sweet-scented world;
on a branch of plum blossom
a wren is perching


(B)
Be fragrant in the world!
a wren
on a branch of plum blossom


この俳句の句意は分かりにくいですが、
(A)の「575訳」は「世ににほへ」(命令形)を無視した誤訳です。(B)は原句の意味を忠実に訳出しています。
芭蕉俳句全集」によると、この俳句は明石玄随(医師・号は一枝軒)を称えた挨拶句とのことです。したがって、ミソサザイは玄随の比喩です。「梅に鶯」は諺になっているほどの「取り合わせ」の定番ですが、芭蕉は「鷦鷯」(冬の季語)と「」(春の季語)を敢えて取り合わせることによってその効果を出したのでしょう。「みそさざい」は朗々と鳴く鶯と異なり、金属的な声で小さな体を震わせながら懸命に鳴きます。


古池や蛙飛びこむ水の音

(furuike-ya kawazu-tobikomu mizu-no-oto)

(15/300)

(A)
by an ancient pond
a frog leaping into it
the sound of water


(B)
The old pond;
A frog jumps in_
The sound of the water.


(C)
a sound of a frog
jumping into water_
the old pond


(A)は「575訳」ですが、5-7-5の音節に拘り、説明的な翻訳になって俳句の簡潔さが損なわれています。
(B)はRobert Aitken訳、(C)はL.P. Lovee訳です。
いずれも「芭蕉の俳句『古池や』の英訳を考える」で紹介したものですが、両者の翻訳の違いは、芭蕉がこの俳句を作った背景の解釈の違いによるものです。すなわち、(B)は一般的な解釈(古池の傍で蛙を見て詠んだもの)による妥当な翻訳ですが、(C)は「蛙の飛び込む水音を聞いて詠んだもの」と解釈した試訳です。いずれにせよ、この俳句は芭蕉が古池の心象を詠んだ創作俳句であり、実際の写生句ではないかもしれません。
なお、この俳句の英訳は無数にあり、複数の蛙が飛び込んだ音と解釈した英訳もありますが、静けさの中に一匹の蛙が「チャポン」と飛び込み、また静けさが戻った情景を想像して翻訳した方が良いと思っています。


ちなみに、ここをクリックすると芭蕉の俳句「古池や」の英訳32件 (小泉八雲訳やドナルド・キーン訳など)をご覧になれます。


初真桑四にや断ン輪に切ン

(hatsu-makuwa yotsu-niya-tatan wani-kiran)

(16/300)

(A)
the year’s first melon;
how should i cut it; in four
or in round slices


(B)
shall I cut in four
or in round slices?
the season’s first melon


(A)は「575訳」です。(B)はL.P. Lovee訳です。「初真桑」の「初」の英訳は、旬の初物という意味で「year’s first」より「season’s first」と訳する方がよいでしょう。


本間美術館の記事によるとこの俳句は連歌の発句です。
この連歌に興味があれば、ここをクリックしてご覧下さい


五月雨に鶴の足みじかくなれり

(samidare-ni tsuru-no-ashi mijikaku-nareri)

(17/300)

(A)
heavy summer rain
has caused the cranes’ legs
to be very much shorter


(B)
the rain of rainy season
has made the cranes’ legs
look shortened


(C)
the legs of cranes
look shortened_
the seasonal rain


(A)は「575訳」で散文的英訳になっていますが、芭蕉の原句が散文的表現なので是認すべきかもしれません。
(B)と(C)は「Lovee訳」ですが、(C)の方が簡潔で俳句らしい翻訳です。
なお、「五月雨」は陰暦5月の長雨(「梅雨の雨」)のことですが、鶴は「冬」の季語です。現在では鶴は北海道や動物園でしか見ることが出来ませんが、芭蕉がこの俳句を詠んだ頃には沼地などで梅雨時にも野生の鶴を見ることが出来たのでしょうか? それとも、この俳句は俳諧味を出すための全くの創作でしょうか?


潮越や鶴はぎぬれて海涼し

(shiogoshi-ya tsuruhagi-nurete umi-suzushi)

(18/300)

(A)
crossing at low tide
the legs of the cranes are wet
with the sea’s coolness


(B)
carrying out “shiogoshi”,
with their bare legs wet_
the cool sea


(C)
at the “shiogoshi”
my bare legs are wet_
the cool sea


「潮越」とは、広辞苑によると、「潮水をひき導くこと」ですが、「芭蕉俳句全集」の「奥の細道」の解説によると、「浪が打ち入る所」です。
いずれにせよ、「潮越」に対応する英語の言葉はないので、そのままローマ字で表記せざるをえません。


鶴脛(つるはぎ)」とは「衣の短い裾からすねが長く現れること」、また、その「すね」のことです。


(A)(「575訳」)は「鶴脛」を「鶴の脛」と解釈した誤訳です。
(B)(Lovee訳)は、「鶴脛」を定義どおりの意味にとって翻訳しています。「人が潮越をしているのを芭蕉が見て俳句にした」と解釈した翻訳です。
(C)(Lovee訳)は、芭蕉が潮越を歩いて詠んだものと解釈して翻訳しています。


さざれ蟹足はひのぼる清水哉

(sazaregani ashi-hainoboru shimizu-kana)

(19/300)

(A)
a very small crab
has found its way up my leg
in clear stream water


(B)
a tiny crab
creeps up on my leg_
the clear water


(A)は「575訳」で散文的な翻訳になっています。
(B) (Lovee訳)は簡潔で俳句らしい翻訳です。


原中や物にもつかず鳴雲雀

(haranaka-ya mononimo-tsukazu naku-hibari)

(20/300)

(A)
out over the plain
free of any attachment,
the sky larks, singing


(B)
over the field
without clinging to anything,
a skylark singing


(A)は「575訳」です。「ものにもつかず」を誤訳しています。雲雀は通常一羽のみ上昇して鳴くものですから、「skylarks」と複数にするのは実態的に不適切です。
(B)(Lovee訳)は実態を考慮して素直に翻訳したものですが、4-7-5音節になっています。