英作ハイク -入門-

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リレー連載・海外の句会紹介
台北俳句会

2009年2月

 

HIAの書架にあった『中華民國九十二年度 台北俳句集(33)』を見つけました。見れば、33号が一番新しく、他に何冊か揃っています。以前、台北俳句会会長の黄霊芝著『台湾俳句歳時記』(ISBN-4-905913-88-8, 言叢社、2003年)を探したことがあり、また3度ほど台湾へも出かけたことがあるので懐かしく開いてみました。

台湾は明治28年(1895年)の下関条約により日本に割譲され、昭和20年(1945年)まで半世紀にわたり日本語が使われていましたので、その当時の残照であろうかと思ってみましたが、既に戦後63年を経過しています。どのような方々がどのような俳句を詠まれているのでしょう。台北俳句会は2009年7月には39年目となる歴史ある句会です。黄先生もすでにご高齢のはず、もしお元気ならば是非「海外句会紹介」でこのユニークな句会をご紹介したく思いファックスを差し上げたところ、「すでに新聞雑誌などで紹介されているので目新しい企画とは言えないが、会員の作品を紹介するのであれば。」というお返事と最新の中華民國94年度35号(2008年発行)をお送り頂きました。『台湾俳句歳時記』の黄先生の後記より句会の特徴を、『台北俳句集(35)』からは作品を掲載することにいたします。会の沿革は、お母様が創立当初からの会員で、ご自身は1992年よりアメリカから参加された張継昭さんにお願いしました。


台北俳句会創立三十五周年記念

台北俳句会創立三十五周年記念

台北俳句会について

台湾では戦前に日本語教育を受けた人が多く、医者、裁判官など高等教育を受けた人たちの日本語、漢文のレベルはかなり高い。1967年に呉建堂氏は台北短歌会を創立し、機関紙として「台北歌壇」を作った。黄霊芝氏は1968年夏に台北歌会に加入したが、1970年に中華民国ペンクラブ主宰の「第三回アジア作家会議」が台北で開催され、日本から川端康成を団長に、中川与一、五島茂、美代子夫妻、東早苗などが参加したが、会の終了後に東早苗氏の勧めもあり、黄霊芝がこれを受けて「台北俳句会」を結成し、主宰となった。

このとき台北歌会の人々が多く俳句会に参加したが、台湾にはもともと中学、高等学校などで俳句の教育に熱心だった教師もいた。特に台中商業学校には俳人・阿川燕城氏が教師として赴任していたので、彼の薫陶を受けた多くの俊秀を残していた。彼らが黄霊芝主宰と共に台北俳句会の興隆に大きく貢献したことは言うまでもない。

台北俳句会は創立の翌年1971年には既に「台北俳句集」第一集を刊行したが、10年後の1981年には既に57人の会員を集め、その後今日に至るまで60人前後の会員を維持している。記録では最大80人ほどの会員を集めることも出来たが、その後日本語世代が老年で病没するに連れて会員の減少が目立ち始め、やがて日本から赴任してきた日本人、赴任後日本に帰国した人、日本、アメリカなどから参加した会員も目立つようになった。

(文責:張継昭)


『台湾俳句歳時記』 『台湾俳句歳時記』 『台北俳句集(35)』

『台湾俳句歳時記』

 

『台北俳句集(35)』

台北俳句会には幾つかの特徴がある

  1. よき主宰に恵まれなかった。ために大根が小根に果てたのでは?という恐れ。
  2. 人員構成としては台湾生まれの台湾人、台湾生まれの日本人、日本生まれの日本人、日本生まれの台湾人、外国に住む人を含め、一国際的団欒の場であり舞台は複雑。
  3. 参加の動機は、若き日への郷愁。日本語しか喋れないもの。だってAさんに誘われたから。何やらの文芸的憧れ。有耶無耶のうちに。または眠気覚ましに。
  4. 日本の場合だと自分の気質にあった俳句社を選んで身を寄せることができるが、台湾での俳句会は一応ここしかなかったから、結社というよりはグループである。いわば一つの花壇に薔薇、百合、シネラリア…その他が雑居する。そしてそれぞれがそれぞれの花を精いっぱい咲かせるのが目標。薔薇には薔薇の仏があり百合には百合の仏がある。それを引っくるめての園芸を諾う度量と礼。
  5. 半数以上の人が短歌をも嗜み、小説や自由詩…を捌く人もいる。だってお午は和食、夕食はビフテキにしましょうね、ということもごく当たり前のことじゃないですか?そんな主張と認可(これは先に述べた文芸の完璧さを求めての各種言語の使い分けへの一具体例として、その主張は天下を闊歩できるはずだ。たとえばこの主題は短歌に適し、こちとらは俳句に適する、という場合、それを使い分けてこそ完璧は完了しよう。やみくもに相撲を謳歌しても柔道はべつに困らない。だから昼は刺身、夜は牛)。
  6. 師は多いほどよろしい、という勧め。但し師の言葉を鵜呑みにするのではなく、自分の胃で消化すること。でないと自分の血や肉にならない。その存念と態度への歩み寄り。
  7. 創立の当初から、言葉の障壁により若い世代の後継者を多分持ち得ないだろう、いわば亡びを前提とした会である。空前絶後かも知れず、または生まれ変わっての一曲が奏でられるまでの、老人の無口がちな日向ぼこに過ぎないのかも知れない、そんな会。

会員の俳句作品

一颱の突と外るるは明智討つ
一颱の軽う過ぎたるぐうぐう寝
黄霊芝(黄天驥)
嫁ぎ来て幾度目の夏マンゴー買ふ
背泳ぎの水音だけを聞いてゐる
三宅節子
クーラー無き炊事の妻へおしぼりを
水道の洩れの止まらぬ残暑かな
文錫
笑みこぼし花嫁くぐる薔薇の門
八十路ゆく身にほのぼのと初湯殿
白圭(張清瑛)
カラオケの拍手もリハビリ冬温し
にら茹でる夫の好みしひすい色
林美
曾孫の産声高し木の芽吹く
春の蚊を打ちたる後のお念仏
高阿香
血液をサラサラにして夏痩せて
ピーマンの一物置かぬ腹の中
高淑慎
清明節先祖の墓碑の字の薄れ
朝寒や亜鈴代りの水ボトル
張継昭
カポックの花の点々健忘症
マッチ箱も寝間も木と紙小夜時雨
黄葉
春泥や大八が画く平行線
嘘言はぬ祖訓にしあれど四月馬鹿
廖運藩

台北市はもとより、カナダ、アメリカ、そして日本在住の会員53名のそれぞれ20句を収めた合同句集です。最後に連絡先:

111中華民國台北市士林區永公路16號    黄霊芝 宛
電話:(02)2861-6880  ファックス:(02)2861-5438

(文責:宮下惠美子)