西洋文藝の始祖がギリシャ・ローマだとすれば、東洋文藝の源は中国です。
詩の世界で『詩経』が生まれたのは今から三千年前です。『詩経』の詩句は二言のユニットを二回重ねた四言でした。紀元前三世紀、憂国の詩人屈原が出ました。屈原の長詩『離騒』は三言句を多用しました。漢代になるとこの不安定な三言を基にして、五言(2+3)七言(2+2+3)が生まれ、更に唐代になると七言絶句や五言律詩という代表的な詩形が完成されます。唐詩の形式は、その後の中国に綿々と受け継がれ、わが国の詩歌に大きな影響を与えました。『万葉集』より三十年程前に編集された、わが国最古の詩集『懐風藻』は『万葉集』編纂に強い刺激となりました。しかし中国詩詞が高い水準に達したのは嵯峨天皇の頃、勅撰集『凌雲集』や『経国集』が編纂された時代です。下って藤原公任が『和漢朗詠集』を編纂し、平安以降の日本の詩歌に長く強い影響を及ぼしました。
芭蕉が蕉風を確立するにあたって、中国の詩文集を座右に置き参考にしたことは知られています。『おくの細道』一冊を読んでも、李白や杜甫の影を随所に見ることができます。『笈の小文』の中には次の一句があります。 |
明石夜泊
蛸壺やはかなき夢を夏の月 芭蕉 |
| この「明石夜泊」という題は張継の「楓橋夜泊」に倣ったものでしょう。「楓橋夜泊」は「月落烏啼霜満天」で始まる例の七絶で、日本人観光客に人気があり、蘇州の寒山寺だけでなく中国全土でその掛け軸が売られています。「夜半鐘声到客船」という平易な表現に人気があるのでしょうが、これを蛸壺に置き換えたところに、芭蕉の卓抜なユーモアとペーソスが感じられます。鄭民欽はこの一句を次のように漢訳しています。 |
明石夜泊 芭蕉
章魚在陶罐, 章魚(たこ)は陶罐に在りて,
独自濃酔黄梁夢。 独り自ら黄梁の夢に濃酔す。
夏夜月満天。 夏夜 月は天に満つ。 (鄭民欽訳) |
| 黄梁夢は「邯鄲の夢」のことで説明を要さないでしょう。随分漢字を沢山用いているようですが、中味は芭蕉の句より多くも少なくもありません。芭蕉の句意を上手く訳しているといえます。これは「漢俳」の形式です。これを北京語で読むとどうなるのでしょうか。 |
Zhang-yu zai-tan-guan,
Du-zi-nong-zui huang-liang-meng.
Xia-ye yue-man-tian. |
音節はまさに五・七・五であって俳句と同じです。「月落烏啼霜満天・・・・」などという古典詩に較べると、何よりも率直さと親しみ易さを感じます。それでいて蛸が蛸壺で黄梁夢に酔うという奇抜な設定は、中国現代詩人の詩情をそそらずにはおきません。
ところで俳句の魅力に中国人が気付いたのはいつ頃からのことでしょうか。俳句を発見した最初の外国人は、ラフカディオ・ハーンだといわれます。ハーンが来日したのは1890年(明治23年)ですが、ほぼ同時期に清国人蘇山人が父羅庚齢とともに来日しています。蘇山人は詩文の才に恵まれ、正岡子規の門下となりました。虚子や碧梧桐とも深い付き合いがありましたが、惜しくも若くして子規と同病で死去しました。その後、葛祖蘭や周作人らが来日し、さらに林林が1932年早稲田大学に留学しました。林林は『鐘声の余韻を尋ねる』の中で何故俳句を学ぶかを述べています。
文化大革命後の1970年代末、李芒らが盛んに俳句の漢訳を行いました。中国で古典詩に代わる新時代の短詩が求められていたのです。その流れの中で1980年日本俳句訪中団(団長大野林火)が北京を訪ねました。北京の歓迎会で趙樸初が詠んだ次の一首から、五・七・五のこの短詩を「漢俳」(Hanpai)と呼ぶようになったのです。 |
緑陰今雨来 緑陰 今雨来る
山花枝接海花開 山花の枝 海花に接して開く
和風起漢俳 和風 漢俳を起す (趙樸初) |
漢俳はその後中国各地に浸透して行きました。何よりも十七字という短詩型が現代にマッチしています。形式も脚韻や平仄にも厳しくない。厳しくないといっても、例えば上記の一首でも「来」rai「開」kai「俳」haiという脚韻が踏まれています。平仄も「山花枝接海花開○○○●●○○」と交互に用いられています。韻律抑揚に特色があるのが中国語であり、その習慣に反するのは、詩の条件を充たさないと思われるのです。
今まで何百とある中国の詩詞形式を包括して来た「中華詩詞学会」と別に、2005年政府が「漢俳学会」成立を認めたのは、大きな歴史的瞬間というべきです。漢俳の庶民性と普及可能性が期待されたからでしょう。日本はこれまで常に中国から文芸を輸入してきました。漢俳は日本文芸が中国に影響を与えた初めてのケースです。
わが国の俳人はなぜ漢俳に親近感を持ちづらいのでしょうか。多くの俳人は「字が多すぎる」といいます。それは日本の俳人が字面で鑑賞する傾向が強い証拠です。中国人は字面よりも朗詠で詩を鑑賞します。詩である以上、調子がいいことは大事です。芭蕉もそのことを繰り返し言っています。実は現代の若者の外国語選択は、英語の次は圧倒的に中国語になっており、ドイツ語やフランス語は遥かに後塵を拝する事態になっています。中国語の発音を悦ぶ人たちが増えれば、日本人の間で漢俳が流行する日も遠くないと思われます。漢俳は今や北京や上海といった中心地だけでなく、地方でも盛んに詠まれています。中国滞在の日本人が増えれば、漢俳による交流が増えることも十分予想されます。
漢俳学会の設立から一年、開花期を迎えた漢俳に敬意を表し、私たちにも隣国の花を愛でる時がきていることを再確認したく思います。今後の漢俳と俳句の実りある交流を期待いたします。 |