英作ハイク -入門-

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俳句―インドからの展望
アンジェリー・デオドハール著(中村泰美訳)
 インドには18の公用語があり、それに加えて英語も公用語のひとつとして用いられている。インド・アーリア系言語はサンスクリット語から進化したものである。ヒンドゥー語はインド中央政府の公用語であるとともに、6つの州においても公用語となっている。このヒンドゥー語にはいくつかの方言がある。

  インドにおいて俳句はいくつかの理由からあまり一般に普及していない。インドの詩人たちの間では俳句は20世紀初頭から知られていたが、一般に普及していないのは、その広がり方が散発的なものだったからである。

 インドのノーベル賞受賞者、ラビンドラナス・タゴールはその著書の中で日本文化とその文学的遺産について雄弁に述べている。彼は俳句というものを初めて知り、彼の作った俳句のような詩を集めた『蛍』と言う詩集は英語とベンガル語で出版された。1916年にはもう一人の国民的詩人、スブラマニア・バハラティが『日本の詩』と言うタイトルで長編の俳句評論文を書いた。その中でバハラティは日本の俳人ヨネ・ノグチ作の俳句について長々と詳細に考察し、その見解を著述している。

 西暦2000年3月29日から31日までマドラスのアジア学問研究所において「インド文学に俳句が与えた影響」というタイトルで3日間のセミナーが開かれた。インド、日本から数名ずつの詩人がこのセミナーに参加したが、そのときに提出された資料はいまだに実用的な内容ではない。

 インドにおける俳句の先駆者はインド初の日本研究者、サタヤブッシャン・ヴァルマ教授であろう。ヴァルマ教授が日本の俳句を初めてヒンドゥー語に訳した著作、『ジャパニ・カヴィタイアン』は1977年に出版された。また1981年、ヴァルマ教授はヒンドゥー語の機関紙、『ハイク』を刊行した。それは航空書簡箋を利用して刊行され、その刊行は1989年まで続いた。サタヤブッシャン・ヴァルマ教授はジャワハルラル・ネルー大学の名誉教授で、正岡子規国際俳句賞を2002年に受賞した。そのときの賞金、100万円をヴァルマ教授はアメリカの詩人、コル・ヴァン・デン・ヒューデルと分け合ったとのことである。

 ヴァルマ教授のあと、その功績が評価されるべきなのは、B.S.アガルワラ教授であろう。アガルワラ教授は、ヒンドゥー語の季刊誌『ハイク・バハラティ』を1998年から刊行、現在に至っている。およそ300人のインドの俳人がそれぞれの彼らの母語でこのヒンドゥー語の季刊誌に俳句を寄せている。この季刊誌の中にはもともとの言葉からヒンドゥー語に翻訳されて掲載されている俳句も何句かある。アガラワラ教授は何冊もヒンドゥー語の著作を出版しているが、最近は俳句の歴史をヒンドゥー語で書くことに取り組んでいる。

 インドでの英語俳句はゆっくりではあるが足場を見つけ、かなり少数ではあるが英語で俳句をひねる「俳人」も現れてきた。だがこういった俳人たちの俳句はほとんどが海外で出版されてきた。インドの俳人たちの中にはバイリンガルやマルチリンガルの俳人もいる。しかしあるひとつの言語で表現された俳句は、他言語に容易に同化するものではない。インドではあらゆる種類の英語詩のスタイルがインド中あちこちの学校で教えられているが、俳句は教えられてはいない。

不幸なことに、インドには公式な俳句協会やクラブなどと言うものが存在しない。いくつかのインドの詩を扱う雑誌が英訳俳句を掲載しているが、インド俳句の現状は満ち足りたものではけっしてなく、可能な限りの援助を必要としているのが現状である。俳句に関する書籍はほとんどなく、入手困難な状況である。インドの学校教育に俳句が取り入れられない限り、俳句の真価に値する注目がインドでは得られないことだろう。インドの俳人たちが世界中で俳句を分け合い、世界中の俳人達とコミュニケーションを図るためにも、インドでの俳句学習に最適な言語は英語だと思う。