25周年記念事業「日欧俳句交流」
2014年1月ブリュッセル・ローマ・フィレンツェ

ヘルマン・ヴァンロンプイEU大統領基調講演
「国際俳句交流協会創立25周年記念シンポジウム開催に寄せて」

国際俳句交流協会の創立25周年おめでとうございます。この記念すべき欧州シンポジウムでスピーチをする機会を頂いたことを感謝いたします。私が俳句と出会ったのは2004年、ほぼ10年前のことですので、俳句年齢はまだ青二才です。

『俳句と欧州』のお話をする前に、私がなぜ俳句に魅せられたのか、そして特に、政治家である私が俳句という詩の世界に足を踏み入れることになった理由について述べさせて頂きます。逆説的に思えるでしょうが、そもそも私どもの人生そのものが逆説に充ち満ちています。一人ひとりの人間、また然りです。だれしもが、もし合理的な説明に窮したら、「それは摩訶不思議だ」と答え、逆説を唱えて逃げを打ちますよね。

詩と政治との関連はどこにあるのでしょうか? 言い換えると、詩人は政治に関与しますか? その逆はどうですか? 実は両者には係わり合いがあるのです。なぜなら、人はある活動をしているからといって、全人格まで変わることはないのです。ところが、人間一人ひとりの個性には複数の側面があります。そして個性の側面たちは表に出たがり屋です。われわれ人間は多分に、一つの側面だけにこだわる「区分け重視」("compartmentalised")の傾向があります。「詩」(poetry)と「政治」(politics)の間に繋がるものはあまりありません。ところが「詩人」(poet)と「政治家」(politician)の間にはかなり結びつきがあるのです。ですから政治活動をしながらの俳人は、突拍子もない存在ではなく、底抜け政治家でも変人でもありません。「政治家兼俳人」は、バランス感覚に丈け、簡単明瞭(simplicity)と調和(harmony)の持ち主であることの自覚と、自分が大自然の一部であるという意識とを、日々の行動に移さなければならないのです。当然のことですが、有能な政治家は詩人でなくてはならないとか、詩を愛好すべきである、と言っているのではありません。一方詩人もまた、政治から遠ざかっているに越したことはありません。そういう意味では、私は「政治家俳人」(politician-haiku poet)であって、「俳人政治家」(haiku poet-politician)ではないと断言します。

「政治家俳人」は私だけではありません。驚いたことに、少し前のことですがある人から私のところに、ダグ・ハマーショルド氏の俳句を集めた小冊子が送られてきました。その俳句集はハマーショルドの日記形式の回想録『道しるべ(邦訳)』(英文名:"Markings")に掲載されていたものです。実は、この回想録自体は50年前に読んだことがありますが、そのときは「俳句集」の方は見逃していました。偉大なる故ダグ・ハマーショルド元国連事務総長は、手慰みに俳句を始めたのではなく、政治活動上のニーズがあったようです。そうだとすれば、私はハマーショルド氏の同類項ということになります。またハマーショルド氏がスウェーデン人だったことを考え合わせると、今日のこのシンポジウム会場が、「スウェーデンEU本部」に設定されていることも偶然のこととは思えません。

先ほど申しあげましたように、われわれ人間はすべて複雑な個性の持ち主です。俳句は私の性格に合っています。私は自然や季節が好きです――科学者や環境学者だからではなく、私は「美の愛好家」(aesthete) だからです。俳句の持つ表現の明解さも好きです――短い言葉で明快に自己表現をすることが私は好きです。それは私を育んだラテン語の伝統に通じるものです。おまけに逆説も好きです――意表を突いた、一見矛盾した見方で物事を捉える逆説的な表現が好きです。

そんなわけで、俳句は私にピッタリなのです。俳句を愛してやまない理由はほかにもあります。技術の発展に伴って複雑化し懐疑心が横行する現代世界にあって、俳句の「簡素さ」(simplicity)は際立っていること。そして競争、敵愾心、嫉妬心が渦巻くこの地球上で、俳句が奏でる「調和」(harmony)の調べは貴重な存在であること、がその理由です。

人類社会が発展すればするほど、人々は争いや嫉妬心や虚栄心のない「至上の楽園」(Paradise)を探し求めます。至上の楽園とは、「平和」(peace)と「和解」(reconciliation)、そして「一致団結」(unity)の世界です。人々が健康に恵まれ、だれが見ても分かりやすい世界のことです。

私は俳句に出会うずっと前から、このような生き方を身につけていました。俳句との出会いは、そんな私の生きざまと信念に王冠を戴いたようなものです。必然の巡り会いと言えるでしょう。私が俳句の門を叩いたのです。俳句が向こうからやって来たのではありませんよ。別な言い方をしましょう。俳句は私の生活の一部です。俳句が私の生活を変えたのでありません。生活を変えて俳句に出会えたのです。

ではここで、ヨーロッパの俳句事情についてお話をしましょう。申しあげるまでもなく、俳句の母国は日本であります。日本なしには、俳句は存在しません。昨年11月に私は、俳句国際化の拠点である“俳句の町”松山市に、偉大なる俳人・歌人正岡子規を記念して開設された「子規記念博物館」を訪問しました。つい数ヶ月前、私の2冊目の「俳句集」(オランダ語)が出版され、ウイリー・ヴァンデヴァーレ教授の日本語訳のお陰で、私の俳句への取組姿勢が日本に紹介されたのもうれしい出来事でした。ヴァンデヴァーレ教授は優れた日本研究者で、代表的な俳聖・松尾芭蕉の研究家としても知られています。

日本で生まれた俳句は、世界を制覇しました。ヨーロッパがその手始めでした。俳句そのものと俳句の裏にある哲学は世界共通であります。ヨーロッパ独自の文化はもとより、クラシック音楽の名曲にもひけをとらない素晴らしい世界文化遺産です。俳句は世界を風靡(ふうび)しているのです。すべての深遠な人間観察文化には、グローバルな発展を遂げる素質が備わっています。一国の文化は他国に移入されると、その国の思想体系(paradigm)に次第に組み込まれていきます。俳句はまさに日本からヨーロッパへと橋でつながり、ヨーロッパの思想体系に組み込まれた実例と言えましょう。私自身も、俳句の国際伝道者の一人かもしれませんね。自分の立場を活用して、俳句がヨーロッパに浸透するのに寄与したわけですから……。言わせてもらえば、私はノーベル文学賞受賞候補者です。いや、むしろ俳句のPR担当者であります。私はまた、俳句が独立した詩の形態として認められるまでになった成果にも貢献したのではないかと、自負しております。

ヨーロッパは、戦争の灰燼(はいじん)から生まれました。平和と和解への願いが各国甦生の礎(いしずえ)となりました。ヨーロッパの国々はいまや紛争には絶対反対の立場にあります。ヨーロッパは調和を求めています。俳句が欧州大陸でさらに人気を呼ぶ兆しが見られるのは、このような理由からでもあります。

私が現在の重責を退任したら、もっと俳句に没頭することができるでしょう。まさしく「俳句一筋のヘルマン・ヴァンロンプイ」(Haiku-Herman)が誕生することでしょう。繰り返しになりますが、私が本日ここに現れたのは、国際俳句交流協会が正しい道を歩いていることを実証し、応援するためであります。俳句は暇つぶしの趣味ではありません。俳句は人生のそのものであり、人生の価値を具体化する表現手段であります。 

さて、私のスピーチをこれで終わりにするわけにはいきません。最新の拙句をご紹介するまでは……。この俳句は、夜、家の近くを歩いているときに詠みました。私はその夜突然、非日常的な風景を目にしました。夜の空は、当然黒く染まっていましたが、満月が天地を明るく照らしていました。風が吹いて、雲の流れが早くなりました。私は鉛筆を取りだしてメモをとりました。

Wandering clouds
Full moon and black heaven
Chiaroscuro
 
雲は流れる
暗い空に満月
明暗の調和
 
Trekkende wolken
Volle maan, zwarte hemel
Clair obscur beweegt.
 
(オランダ語)
 
Nuages mouvants
Pleine lune et ciel noir
Clair Obscur en marche
 
(フランス語)