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| 1984年に渡米し現在はサンフランシスコ在住、俳人協会会員、米国俳句協会会員、『天為』同人の青柳飛氏の英語の第二句集『In
Borrowed Shoes(借り物の靴)』が4月17日Blue Willow Pressより上梓されました。日英のふたつの言語で俳句を自在に発表し続けている俳人、フェイ・アオヤギの俳句とハイクの魅力に今回は迫ってみたいと思います。 |
Hiroshima Day−
I lean into the heat
of the stone wall Fay Aoyagi
広島忌 私は石壁の熱さへ寄りかかる 石壁の熱さへもたれ広島忌 |
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| 「広島忌」というのはアメリカでも記念日とされているのでしょうか?アメリカで同時通訳として活躍しておられる飛さんには、日本からの移民であることをテーマとした作品群があります。この広島記念日の句もその一つ。じりじりと焼けた石の壁にもたれていく過程、じかに接触している皮膚が悲鳴をあげそう。でもじきに体温でさめてくるし、衣服をとおした熱は心地よくも感じられる。61年前の夏に広島を一瞬にして焼き尽くした熱を思い、またその鎮魂のために祈る。嘆きの壁ではないのでしょうけれど、壁という人為的な境界はこの句にあって象徴的な働きをしています。(飛さんは戦後生まれです。)
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snip, snip
of the scissors−
a New Year’s dragon Fay Aoyagi
ちょきんちょきんと鋏の音 新年の龍一尾 ちょきちょきと春節の龍鋏より |
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| サンフランシスコには世界でも有数の中華街があります。飛さんの家からは歩いていける距離にあり、時々食事や食料品の買出しに散歩をするそうです。この龍は旧正月の中国街をうねり歩くドラゴンでしょうか。紙からそのドラゴンを切り抜いている作者。最初の擬態語のスニップ、スニップの繰り返しが、紙を回しながら複雑な龍の輪郭を切り取っていく様子を思わせて佳句。
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Thanksgiving dinner
none of us on this side
are parents Fay Aoyagi
感謝祭の晩餐 こちら側の私たちの誰一人として親にはなっていない |
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なるほど、そういうこともありうるでしょうねと思わせる句。家族が集まってお祝いをする感謝祭の晩餐の卓のこちら側についた人たちは、誰も子供がいなかったという発見。家庭を持ち家族という絆を大切にしていた時代の祝祭と、個人の可能性を追求することを美徳とする時代に生きる面々。キャンドルを点し、七面鳥の焼け具合に鼻をくんくんさせているのは、いつしか大人ばかりになってしまったある家族のダイニングルーム。あるいは家族という単位ではもはや行動をせずに個人的な繋がりで集まった感謝祭のレストラン風景。アメリカ社会を一言で言えば多様性、ゲイや生まない選択をする女性たちも堂々とアメリカを成しています。アメリカの断面をうまく捉えていて感謝祭が季語として動きません。
期せずして3句のいずれにも季語となる「広島忌(原爆忌、8月6日)」、「新年(春節、旧正月)」、「感謝祭(11月第4木曜日)」が入っています。どれも人事の季語でしたが、サンフランシスコの坂の中腹に住み都会暮らしをもっぱらにしている作者の心のありどころや生活スタイルが反映されている句でもありました。主題となる季語があって、それに自身の中から掬い取った景を取り合わせているように感じます。つまり飛さんの句は、季感や自然を詠むことを目的としたハイクではなく、自己を表現するハイクなのです。句集の最後に作者は次のように述べています。
For me, haiku is the most suitable poetry format to express
who I am, how I live, how I see and how I feel. (私にとって俳句・ハイクとは私自身や私の生き方、私の見方感じ方を表現するのにもっとも適した詩形です。)
第一英語句集『Chrysanthemum Love(菊の愛)』でアメリカハイク協会のメリットブック賞を受賞している飛さんは、日本でも『天為』(有馬朗人主宰)の新人賞を受賞しました。最後に彼女の最新の日本語の俳句を一句、『天為』平成18年5月号よりご紹介します。
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| 春愁や始祖鳥どこまで飛べたらう 青柳 飛 |
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