英語でわかる芭蕉の俳句

まえがき

「575 The haiku of Basho」の著者John White氏が共著者の佐藤平顕明氏と来日され、葵祭の日に、芭蕉の俳句の英訳について議論する機会を得ました。

ホワイト氏は俳句の原則5-7-5音を尊重して英訳を5-7-5 音節(syllable)のhaikuとし、芭蕉が字余りで詠んだ俳句はそれに従って音節を増やすという徹底ぶりで、300句を英訳しています。その労作には驚嘆しました。

ホワイト氏は日本語を理解できないので、佐藤氏の解説を基にして英訳されたそうで、両氏のご努力には敬意を惜しみません。しかし、俳句の本質は5-7-5音の簡潔な詩的表現をすることにあり、日本語と英語の構文や発音などの違いを無視して形式的に音節に拘ることには賛成しかねます。動詞や前置詞・副詞などを使用して音節を増やすと散文的になり、俳句の特徴である「詩的短さ」が損なわれると主張しましたが、ホワイト氏は英語の詩として十分簡潔なhaikuに翻訳していると反論され、議論は平行線に終わりました。

ホワイト氏には94歳のご高齢にもかかわらず翌日の帰国を控えたお忙しい時間を割いて頂いたので議論の矛を収めましたが、言葉の壁を破り俳句の翻訳をすることの難しさの一例として、ご参考までに下記のとおり紹介させて頂きます。

(国際俳句交流協会会員 木下 聰)

インデックス


芭蕉300句 (1)~(10)

ほろほろと山吹ちるか瀧の音

(horohoroto yamabukichiruka takinooto)

(1/300)

yellow rose petals
gently, gently flutter down;
waterfall thunder


ホワイト氏は、芭蕉が山吹を見て詠んだものとしてこの翻訳をしたとのことで、「滝音の響きと山吹が静かに散る対比が面白い」と感想を述べていました。
この解釈は、疑問を表す助詞「か」を見落としていますが、日本の著名な俳人も文法に気をとめず直感的に句意を解釈する傾向があるので是認すべきかもしれません。この俳句は滝の音を聞きながら、「滝の轟音の響きで山吹が散るのではないか?」と滝音の大きさを詠嘆して詠んだものでしょう。
そこで、次のとおり試訳してみました。


shall yellow rose petals
flutter down?
the thunder of water fall


ホワイト氏の翻訳は9語17音節ですが、上記試訳は11語16音節です。語数が増えても「滝の音」を強調するために敢えて「the thunder of waterfall」としました。
英詩のHAIKUとしては試訳よりホワイト氏の翻訳の方が詩的映像が鮮明になり優れていると思いますが、原句の句意を無視することはできません。試訳は1~2行の改行を活かし、間をおいて読むと俳句らしくなります。
芭蕉は「滝と山吹」の従来の取り合わせの焦点を音に当てることにより新鮮味を出し、映像は読者の想像に委ねたものと思います。


霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き

(kirishigure fujiominuhizo omoshiroki)

(2/300)

(A)
showery mists
hiding Mt. Fuji today_
amusing!


(B)
mist and gentle rain,
fuji can’t be seen today;
how fascinating!


(A)は、「霧が時雨のように富士山を隠す様子が面白い」と芭蕉が詠んだものと解釈して英訳したものです。(B)はJohn White と Kemmyo Taira Sato両氏の共訳ですが、5-7-5音節に拘る弊害か、原句の句意・ニュアンスを表現しきれていないように思います。
貴方はどう思いますか?


山路来て何やらゆかしすみれ草

(yamajikite naniyarayukashi sumiregusa)

(3/300)

(Translation by L.P. Lovee)
coming through a mountain path,
somehow graceful_
violets


永き日を囀りたらぬ雲雀かな

(nagakihio saezuritaranu hibarikana)

(4/300)

(A) Translation by L.P. Lovee
the so-called long-day
insufficient to fully sing_
skylarks


(B) Translation by John White & Kemmyo Taira Sato
throughout a long day
with never a pause at all
a skylark in song


(A)の英訳では、「永き日」が春の季語(「日永」)のであることを明瞭にするために「so-called」を補足しています。
(B)の英訳は誤訳(mistranslation)です。原句の句意と違うばかりでなく、雲雀は上空で一しきり鳴くと鳴き止み地上に降りますから「never a pause」は実態的にも誤り(wrong)です。


菜畠に花見顔なる雀哉

(nabatakeni hanamigaonaru suzumekana)

(5/300)

(A) Translation by John White & Kemmyo Taira Sato
in a field of rape
with flower viewing faces
a flock of sparrows


(B) Translation by L.P. Lovee
a plot of rape field,
with a look of flower viewing
one of the sparrows


日本語には単数・複数の区別が無く、俳句を詠んだ背景が分からない場合は英訳に苦労します。(A)では「群れ雀の全てが花見顔をしている」と解釈していますが、雀は地面にいるときは何かを啄ばんでいるのが普通ですから、「群れ雀の一羽が恰も花見をしているように見えた面白さを俳句にしたもの」と解釈して英訳しました。しかし、一羽だけ雀が居る様子を詠んだものと解釈すると、「one of the sparrows」は「a sparrow」に替えることになりますが、この方が俳句らしい翻訳になります。日本の畠は欧米に比べて規模が小さいので「a plot of」を補足して翻訳しました。蛇足ですが、上記の「rape」は、「強姦」ではなく、「アブラナ」です。


岩躑躅染る泪やほととぎ朱

(iwatsutsuji somuru namidaya hototogisu)

(6/300)

(A) Translation by John White & Kemmyo Taira Sato
rock azaleas
so it seems, have been dyed red
by the cuckoos’ tears


(B) Translation by L.P. Lovee
the rock azalea
seems to be dyed with the tears of
a cuckoo


(C) Translation by L.P. Lovee
the tears
dyed with the rock azaleas_
a cuckoo


「ほととぎす」には「杜鵑」「時鳥」「子規」など色々の当て字があります。一般的に「ほととぎす」の詩歌は「鳴き声」に焦点を当てますが、芭蕉は「ほととぎ朱」と書き、色に焦点を当て新鮮味を出したものでしょう。ちなみに、「血の涙」という言葉もありますが、評伝・正岡子規(柴田宵曲著)によると、正岡子規は俳号「子規」の元になった五言絶句で「杜鵑が血を吐いて鳴く」という趣旨のことを詠んでいます。
なお、実態的解釈はともかくとして、文法的には(C) のごとき翻訳も可能です。


春なれや名もなき山の朝がすみ

(harunareya namonakiyamano asagasumi)

(7/300)

(A) Translation by L.P. Lovee
the spring, now_
on the unnamed mountain
morning mists


(B) Translation by John White & Kemmyo Taira Sato
the spring has arrived;
on the hill that has no name
there is morning mist


(C) Cited from an internet site (jeffThompson/BashoHaiku.txt)
Spring!
A nameless hill
in the haze.


(D) Cited from an internet site (jeffThompson / BashoHaiku.txt )
it is spring!
a hill without a name
in thin haze


Which one do you like best among the above translations?


むめがかにのっと日の出る山路かな

(mumegakani nottohinoderu yamajikana)

(8/300)

(A) Translation by John White & Kemmyo Taira Sato.
amid plumtree scent
the sun suddenly came up
on the mountain path


(B) Translation by L. P. Lovee
amid plum blossoms scent
suddenly emerges the sun_
this mountain path


(C) Cited from an internet site (jeffThompson/BashoHaiku.txt)
With plum blossoms scent,
this sudden sun emerges
along a mountain trail


「むめがか」は「梅の香」のことです。山道を登っていると山の起伏や林で見えなかった太陽が不意に現れることがあります。そのような体験から、芭蕉は「のっと日の出る」と面白く表現したものと思いますが、「日の出」を詠んだのかもしれません。「のっと」には「祝詞」の意味もあります。いずれにせよ、この表現のニュアンスを英語にすることは不可能です。
なお、「山路かな」を「this mountain path」と翻訳して臨場感を出しましたが、この俳句は実際には連歌の発句です。


五月雨にかくれぬものや瀬田の橋

(samidareni kakurenumonoya setanohashi)

(9/300)

(A) Translation by John White & Kemmyo Taira Sato
in the rain of may
the only thing still in sight
the bridge at seta


(B) Translation by L. P. Lovee
in the rain of rainy season
what remains in sight_
the bridge at Seta


(A)の固有名詞は小文字表記ですが、(B)のように固有名詞は大文字表記にして句意を明瞭にするのがよいでしょう。「五月雨」は直訳しないで「rain of rainy season」と翻訳し、実態的句意を明瞭にしました。


風吹けば尾ぼそうなるや犬桜

(kazefukeba obosounaruya inuzakura)

(10/300)

(A) Translation by L. P. Lovee
when the wind blows,
the tail dwindles_
dog-cherry blossoms


(B) Translation by John White & Kemmyo Taira Sato
as white blossoms blow
away in the wind, the trees
appear to dwindle


「犬桜」の学名は「Prunus buergeriana」ですが、俳句用語に適しないので、原句の面白さを訳出するために (A)では文字通り「dog-cherry blossoms」と翻訳しました。
「尾」も「tail」と直訳しましたが、この俳句の情景や面白さが日本語の分からない外国人にも理解されるでしょうか、反応を知りたいものです。
(B)の翻訳では情景は明瞭ですが、原句の面白さは全く理解されないでしょう。